”お口の役割は命の入口・心の出口”
歯科医師と介護職との接点
超高齢社会における地域住民ニーズの多様化により、多種多様な職種の人々が要介護者に関与する機会が急速に増えつつあります。
そうした時代の流れの中で、私たち歯科医療従事者が求められる能力がより幅広いものとなっているのは、むしろ当然なのかも知れません。
ほとんどの患者様が自ら受診希望して来院されている歯科医院での院内治療とは異なり、訪問診療などの介護現場における歯科医療従事者は必ずしも歓待されるとは限らず、要介護者の口腔ケアに対する拒否が発生している現状も多く耳にします。この問題を先行的に解決しなければ、どの様な高度な技術や知識を持ってしても介護現場に口腔ケアの大切さをお伝えすることや口腔機能の改善を進めることは難しくなるわけです。
私自身、歯科医師になり29年が経ち介護にも携わって25年、今回は、過去の体験をもとに歯科と介護の接点についてお話したいと思います。
全面バリアフリーを整備
歯科医院を開業した当初のクリニックは2階でエレベーターもありませんでしたが、開業して2年目に近くの特別養護老人ホームの方から担当医になって欲しいと声がかかり、ご高齢の方とのお付き合いが増えました。中には車椅子の方もいらっしゃいますから、当時のクリニックでは不都合なことが増えてきたのです。
どうにかしたいと悩んでいた時、特別養護老人ホームの方が今度は「違う形で地域貢献したい、駅前に医療モールを作る計画があるから手を貸して欲しい」と再び声をかけていただきました。では、協力して一緒に作りましょうということで、建物の設計にも関わらせて頂き、全面バリアフリーという一番欲しかった環境が手に入り、ご高齢の方や車椅子の方、またベビーカーを押すお母様方も通院しやすくなりました。
バリアフリーに満足していた自分をいさめ、訪問診療をはじめたきっかけ
私が訪問診療を始めたのは、全面バリアフリーの医院として移転したばかりの頃、当院にいらした40代くらいの女性との出会いがきっかけです。その女性は、真っ二つに割れた入れ歯を見せて「母のですが直せませんか?」と尋ねてこられました。
私は「入れ歯は実際に本人が装着して合わせなければ、きちんと修理できませんので車椅子でご本人といらして下さい」と申し上げたところ、非常にガッカリした様子で出て行かれました。その時は、何故ガッカリしたのかが理解できなかったのです。
ところがその後、当院に通院していたある患者様が寝たきりになり、そのご家族からは「仕事があるので連れ出すのは難しい」と言われたことで、あの時、ガッカリして帰った女性と繋がりました。彼女は何故あれほどガッカリしたのか。きっと、バリアフリーのクリニックでも連れて来るのが難しい理由があったのです。
それからは、クリニック内で待ち構えているだけではなく、必要な方にはこちらから足を運ばなければと思い、訪問診療にも力を入れるようになりました。
あの時の女性の後ろ姿は今でも忘れられず、あの頃のバリアフリーに満足していた自分が本当に情けなく思います。
現在、クリニックの歯科衛生士5人中に訪問診療専属の歯科衛生士が2人、ドクターは外来と兼任です。訪問診療チームはクリニックの休診日以外、毎日稼働しています。それだけ地域での需要が多いということですね。
特別養護老人ホームで受けた貴重な体験
今振り返ると介護現場での経験が、歯科大学や研修医時代には学ぶことが出来なかった介護に対する考え方や接し方を充分に学ばせて頂きました。特に、特別養護老人ホームでの経験は私にとって衝撃的でした。
ある日、いつものように利用者様に対して食後の口腔清掃を施していましたが、月に1回しか訪問することが出来なかったので、なかなか清潔なお口を維持することが出来ませんでした。
そこで、施設スタッフの方々にも日々のケアを行って頂こうと思い、口腔ケアの勉強会を開催し、スタッフ同士で実技練習も行いシミュレーションは完璧でした。
しかし、次の訪問時に施設スタッフたちからは『利用者さんたちが口を開けて頂けませんでした~』との声。 実際に私が現場で行うときには、皆様快くお口を見せて頂けるのです。
私は疑問におもい、試しに白衣を脱いでスタッフと同じユニフォームで口腔清掃を実施しようとしたら、見事に、お口を開けるのを拒まれました。
私は白衣の力を借りていただけなのです。一人の人間としては何ら無能だったことを思い知らされたのです。
その解決策として、自らお願いして介護関係者から“ハンドケア”のコミュニケーションツールの研修を受け、再挑戦したところ信頼感を得られたためか白衣の力が無くてもすんなりお口をあけて頂き清掃をすることができましたので、施設スタッフにもその方法を伝授した結果、口腔清掃が可能になり日々の業務にも口腔ケアを加えて頂ける施設へとなりました。
あまり時間をかけることなく手軽に出来るそのコミュニケーション法は想像以上の効果を得られご利用者様の笑顔を見ることもでき、また心理的な面だけでなく身体的にも口腔ケアとの相乗効果を発揮したため、“ハンドケア”を教えていただいた介護職の方には本当に感謝しております。
この介護現場での経験が活かされ、クリニック内の診療でも訪問診療でも患者様の口の中だけを診ないということに気を配っております。歯科医師は口の中を診る仕事だと思われがちですが、全身状態をチェックするのはもちろん、その方の性格や生活環境まで掴むのが大事だと考えています。
特に訪問診療では、患者様や利用者様の経済事情やキーパーソンとなる方のお考え等々、要するに患者様や利用者様の「人となり」を知ることが重要と考えておりますので、我々もコミュニケーション力を磨いて話しやすい雰囲気を作るよう徹底しおります。
人と人との関わり方の介護と医療
私がこの仕事で一番大事にしているのは一言でいうと“人と人との関わり方の介護と医療”を理念としております。言い換えれば、最後までかかりつけ医を全うするという考え方です。患者様が寝たきりになり通院できなくなったら、そこで関係を終わりにせず、こちらが出向いて最後まで診る。そんなドクターが地域に多くいればと思います。
実際には、そんな歯科医療従事者は少ないかもしれませんが、我々の世代とは違い近年の歯科医師や歯科衛生士の大学教育体系も変化し、高齢社会や多職種に対応できる歯科医療者教育がなされておりますので、30~40歳代の先生の方が比較的介護現場への理解度が高いため介護と医療の連携がしやすいかと思います。
とは言っても『恐れ多い』『敷居が高い』と思う方もいますので、医療従事者に対して利用者様の些細な情報を出来るだけ多く伝えるだけでも良いです。
例えば、かかりつけ医の情報や現病歴、普段の食生活、排泄状況、性格などの人柄、家族、出身地などなど、口や歯のことに限らず何でも良いのです。
とかく我々医療者は、介護を必要としている方々を患者扱いしてしまい医療を押し付けがちですが、実際は決して患者ではなく一人の生活者として見守り、手と手を握りながら会話し、共に寄り添っていかねばならないという事を歯科医療従事者側も介護現場での経験を積みながら成長していく訳ですから、介護職の方々は是非とも臆することなく歯科医療従事者に対して対等な立場で現場教育を宜しくお願いいたします。
次回は
~訪問診療の難しさ外来での診療との違い~
をお伝えいたします。